生きているだけでストレスを受けているようなもので、もうその環境は受け入れていくしかないと諦めたくなるほど、ストレスは日常のどこにでもある。そうかと思えば、人によっては同じことが全くストレスにならないという多様性を示すことから、ストレスの正体という定義は実に曖昧だ。
ストレスは元々物理用語で、外部から力が加わったときの物体内部の力のことを表す。それを人の精神的な部分に置き換えた用法が主流で使われており、ストレスには心地良いものも含まれるが、ほとんどの場合において、ストレスは不快なものを表す用途で使われる。
ストレスについての学説が提唱された時点から、外的な要因が人間の内分泌系に変化をもたらし、それが疾患に結び付くという考えがあった。実際その通りで、人はストレスを受け吸収できなければ、外部ではなく内部や精神に少なからず変調をきたす。
元々人間の体と心は、傷ができると自然に治そうとし、ショックを受けても寝るときに記憶を取捨して影響を和らげるように、肉体的にも精神的にも安定した生命活動を目指すようにできているのだ。その安定を阻害する全てがストレス要因であり、正体など人によって違うのはある意味当然である。