コンテストで選ばれた源義経の母は超美人?

Vol. 272
 コンテストで選ばれた源義経の母は超美人?

大河ドラマにもなった源義経の母、常磐御前が、義経に負けないほどの有名人であったらしい。その理由は美貌で、幼いころから抜きん出ていたとされる。

後に近衛天皇の中宮(皇后の一人)となった、九条院・藤原呈子の雑仕女(召使い)を採用する際、父親である藤原伊通は美女1000人を集め、そこから100人に絞って、更に10人に絞って、ついには1人に決めるのだが、それが常磐御前である。この時わずか13歳。当時の女性は早くから政治的な利用を目的として使われていたとはいえ、現代なら中学1年生である。

今で言うところの美女コンテストを勝ち抜いたのだから、その美しさは類まれなのは言うまでもない。波乱の人生に揉まれることになる常磐御前は、平治の乱以降、平家の絶対的な権力者である平清盛をもってしても、処罰して落命させることをためらわせ、義経を含む子らが助命されたくらいである。それが結果的に平家を滅ぼすことになるのだから、常磐御前は平家の滅亡にも因果があるのだ。