年末年始ともなれば必ず放映される時代劇の中で、忠臣蔵を題材にしたものは多く、それは主君の無念を晴らそうとする47人の赤穂浪士が人の心に訴えるものがあるためだ。浅野長矩が江戸城にて吉良義央(上野介)に斬りかかったことに端を発する、元禄赤穂事件の一部始終は、その時代の主君への忠誠心を示す例として語り継がれている。
長矩がどのような因果で吉良上野介に斬りかかったかは不明であるが、いずれにしても当時の幕府は城内において抜刀という異例の事態に対し、長矩へ切腹を求めている。時を隔てて赤穂浪士によって吉良邸討ち入りが果たされることになるのが忠臣蔵だ。
だがしかし、この事件の結末は、意外にも赤穂浪士の全員切腹という形で幕を閉じる。確かに忠義ではあるが、多数をもって襲撃を果たすというその行動は、夜盗と変わらぬが故に当時の江戸城は揺れたであろう。
結局、罪人として扱われたことに違いは無いとしても、死罪ではなく切腹という武士として自ら命を絶つ機会を与えられたのは、せめてもの救いであったと考えられる。