最澄は空海に弟子入りしていたってホント?

Vol. 23
 最澄は空海に弟子入りしていたってホント?

遣唐使一行として唐(当時の中国)に渡る2人は、当時仏教界で高い地位を持っていた最澄に対し、空海は無名であったという。空海のその後を考えると、この時点では相当な地位の開きがあった。それでも後に最澄は、空海に弟子入りすることになる。10年ほどは2人の間は良好で、師と弟子の関係であったのだから当然なのだろう。

徐々に亀裂が入る2人の関係は、空海に預けていた最澄の弟子が戻らなかったことや、理趣釈経という経典の解説書を空海が最澄に貸すのを拒んだことに起因するという説が有力である。だが、最近においてはその説に異論が唱えられ、宗教的な要因とする説もある。