村正の刀と家康の関係

Vol. 40
 村正の刀と家康の関係

日本刀には名刀と呼ばれる刀工の名前が付いたものが多く、それは刀としての機能(切れ味)とはまた別に、美術品としてジャンルを築くほど価値が高い。その中でも、伊勢の村正といえば、名刀として名高いのだが、徳川家において村正は忌避されていた刀で、それは徳川家康と深い関わり合いがある。

村正が名刀から妖刀になってしまったのは、徳川家康の祖父松平清康が家臣によって命を絶たれ、その時に村正が使われたとされることに端を発する。それだけなら時代が時代だけにそれほど珍しいことではないが、家督を継いだ家康の父松平広忠も命を落としたときに使われたのが村正であるという説があり、家康にとっては先祖の命を奪った刀となってしまう。

それでも終わらず、家康の嫡子信康が織田信長によって自刃させられるという事件があった。その時に介錯人を務めた服部正成が帯刀していた(実際には別の人物が介錯したとされる)刀が村正といわれ、またしても村正が登場してくるのだ。

こうして徳川家(松平家)にとって村正は忌み嫌われる存在となり、それが妖刀として広がる結果となったのである。