戦国武将の中でも一大勢力を誇った「甲斐の虎」武田信玄は、自身の死期が近いと見るや、3年の間は死を隠すようにと遺言を残した。また、後に家督を継ぐことになる庶子の武田勝頼や、重臣らにも自らの死後について指示を出している。
恐らく武田信玄ほどの人物が逝去したと知れれば、甲斐の国がその後どのような運命をたどるか、信玄には予想ができたのであろう。いかに信玄が大名として秀でていたか、その存在が他国への牽制になることを知っていたかというのを感じられる。信玄は現代で言うところの終活を行うことで、甲斐武田氏の滅亡を少しは延ばせたのかもしれない。