知将として名高い黒田官兵衛は、大河ドラマにもなるほどの人物で、戦国時代を代表する武将の1人である。同じく豊臣秀吉の配下として知られる竹中半兵衛と並び、両兵衛などと2人の伝説的な活躍を称する呼び方もある。そのあり余る才能は、天下人である秀吉ほどの人物であっても恐れていたと言われるのだから、計り知れないものがあったのは間違いない。
その官兵衛は囲碁好きでも知られており、いかにも知将らしい嗜好であるが、囲碁が自らの立場を窮地に陥れるなど思いもしなかったであろう。
朝鮮出兵中に、三成を含む三奉行が官兵衛の陣を訪ねてきたときの事。浅野長政と囲碁を打っていた官兵衛は、秀吉の側近中の側近である三成たちを、囲碁を理由に待たせるという行動に出る。これが三成の怒りを買い、それが秀吉に伝り、出家に繋がったという逸話があるくらいだ。
三成が秀吉にどのように伝えたのかは不明だが、それ以前から確執があったとされる背景からすると、誇張して言い含めたというのは想像に難しくない。才だけでは生きていけない時代であったことを物語る象徴的な話である。