安土城に火をつけたのは織田信長の息子?

Vol. 383
 安土城に火をつけたのは織田信長の息子?

現在では滋賀県の安土町にあたる、安土山に作られた安土城は、織田信長が当時の威信を世に知らしめるべく、3年という年月を掛けて建てられた豪華絢爛な城である。7階建て(地下1階地上6階)で、宣教師ルイス・フロイトも安土城の天主(天守)の様子を絶賛している。だが信長亡き後、山崎の戦いを終えた後にあっさりと焼失してしまう。その原因は諸説あり、史実として決定づけられるものはない。

安土城焼失の原因として考えられている1つに、信長が側室吉乃との間にもうけた信雄が火を放ったという説がある。もちろん、父の栄華を示す安土城に理由も無く火を放つなどするわけもなく、明智勢を炙り出すために火を放ったところ、天主まで燃えてしまったということだ。

他にも、落雷説や野盗が放火したとする説、明智秀満が放火した説など多くあるのだが、信雄が本当に安土城を焼失させてしまったのなら、それを抜きにしても「暗愚」と評された汚名を晴らすことなど到底できないのである。