キリスト教徒の大名・高山右近は国外追放になった

Vol. 452
 キリスト教徒の大名・高山右近は国外追放になった

外国から入ってきたキリスト教は、同じく外国から入ってきた仏教と時代が異なるだけで、伝来されたという点では変わりはないのだが、戦国時代には大きく迫害を受けた。そして既に広まりつつあるキリスト教は、当時の大名にも信者を有していたため、彼らの処遇に影響を与えることとなる。

高山右近は、多くの大名が棄教する中でも、頑なにキリスト教を信仰し、貫き通した稀有な人物である。高槻城主であった右近は、戦国時代という動乱の時期にあって何度も棄教を迫られる選択に見舞われている。

例えば荒木村重の謀反のとき、豊臣秀吉によるバテレン追放令のとき、徳川家康によるキリスト教禁止令などだ。仮に表向き禁止されても信仰は変わるものではないだろうが、それにしても時代が時代だけに命に関わる問題で、家族や家来など全てに影響を与える大きな選択である。

そのような重圧の中でも、高山右近はキリスト教を棄てなかった。晩年は前田利家で有名な加賀で暮らしていたが、マニラに渡って改教することなく没するのだ。