普段当たり前に利用されている、月日を表す暦(こよみ)だが、現在の暦は太陽暦といって明治以前と異なっていた。それまで利用されていた太陰歴では、月の満ち欠けを利用した暦であったため、1ヶ月が短く年に換算すると大きくずれていく。そのため、数年に一度は閏月(うるうづき)といって、1年を13ヶ月の閏年(うるうどし)にすることで調整が行われていたのだ。
太陽暦を採用したのは、早稲田大学を創設した大隈重信で、佐賀藩士であった重信は幕末から明治維新に大いに関わることになる。重信は、太陽暦が太陰歴よりも正確で季節のずれがないという特徴だけではなく、経済上のある理由で太陽暦を採用したとされているから面白い。
その理由は閏月である。江戸時代には年俸制であった官吏の給与が、明治に入ると月給制になる。そうすると、太陰歴では閏年に13回給料を支払わなくてはならない。その財政力が政府には無く、支出を抑えるために太陽暦を採用したというものだ。近いうちに閏年がやってくることが明らかであったため、太陽暦の採用は急がれたそうである。