Vol. 645
種子島に鉄砲を伝えたのは中国船に乗っていたポルトガル人
1543年、種子島(鹿児島県)にポルトガル人が漂着し鉄砲を伝えたとされているのが、現在考えられている鉄砲の伝来である。気にしない人には興味もない事だが、漂着したのがポルトガル人なのかポルトガル船なのかは、史実上で考えると、意外と大きい問題なのかもしれない。
中国人(当時は明なので明国人)が別に乗っていて、その中国人が通訳をしたとされるので、中国船にポルトガル人が乗っていたという説と、ポルトガル船に中国人通訳が乗っていたという説がある。どちらが有力かというと、中国船にポルトガル人が乗っていたという説である。
ヨーロッパのポルトガル人がなぜ日本に?と思うかもしれないが、現在、中国の特別行政区であるマカオは、この頃は既にポルトガルのアジア交易の拠点であり、後にはポルトガルの植民地となる。あの有名なフランシスコ・ザビエルも、マカオを拠点に布教活動を行っていたので、ポルトガルと中国の交易は日本よりも進んでいたのだ。