平城京→長岡京→平安京

Vol. 667
 平城京→長岡京→平安京

京都に旧都があったことは、義務教育の歴史で学習するので、平城京と平安京が作られた年代を語呂合わせで覚えた人も多いはずだ。「なんとりっぱな(710年)」「なくようぐいす(794年)」と覚える方法が主流である。しかし平城京と平安京の間には、長岡京というわずか10年の都があったのをご存知だろうか。

もちろん、京都近隣の人であれば長岡京市が存在するので、知らない人などいないと思われるが、全国的には平城京と平安京の知名度に対して、長岡京と聞いて都であったと答えられる人は少ない。その理由は期間の短さだけではなく、放棄されたという定説の長岡京は、歴史の細部まで語られない教科書において掲載が少ないことに起因する。

後の発掘調査によって、かなり建設は進んでいたことがわかっているが、長岡京からすぐに平安京に遷都された。その理由は、当時の桓武天皇が重用した藤原種継が暗殺された際、桓武天皇の弟である早良親王が加わっていたとの疑いから処罰されて、その後次々と起きた異変を早良親王のたたりとしたことが原因とされている。