聖徳太子の最期〜死因は心中

Vol. 762
 聖徳太子の最期〜死因は心中

歴史の教科書には必ず出てくる聖徳太子。聖徳とは没後に付けられた呼称で、聖と徳というとても高尚な字が使われていることから、さぞ偉人であっただろうことは伺える。お札にも使われているのだし、十七条憲法の制定をして、推古天皇の補佐役をしたとされている。

少なくとも、とても心中するようなイメージがないのだが、膳大郎女(膳部菩岐々美郎女・かしわでのほききみのいらつめ)という身分の低い女性と合葬されていること、殯(もがり)といって高貴な人の没後に長期間棺の中で安置する儀式の期間が、身分に対してとても短いこと、そして文献によっては、膳大郎女と同日または前後して亡くなったとされている点が、心中説を支えている。

仮に心中したとして、なぜ心中したのかという点についても推測の域を出ないが、実際、現代でも繰り返されているように、古代なら権力に対する争いごとが絶えなかったことは容易に想像できる。権力者が身分の低い女性に惹かれるというのは多くある事例だ。