清少納言と紫式部の関係

Vol. 786
 清少納言と紫式部の関係

平安時代の女流作家といわれて、清少納言と紫式部が頭に出てこなければ、義務教育で歴史が好きではなかったと思われるほど、2人の存在は有名である。

2人は共に中宮に使える形で宮中に上っている。中宮とは天皇の妻の1人を表し、天皇の妻の世話役として宮廷に入ったという意味だ。それぞれの宮仕えは時期が異なり、清少納言が先で紫式部が後に宮廷に入った。

紫式部が宮廷に入った時には、すでに清少納言が宮廷を去ってから何年も後のことだったので、単純に考えれば2人は面識がない。そのため、2人の仲が悪かったかどうかは、面識がないとすると確かめようがない。しかし、清少納言の高名は鳴り響いていたようで、それが癇に触ったのか、紫式部は著書「紫式部日記」で、清少納言を酷評している。

その酷評ぶりが辛辣すぎて、とても文化人とは思えないほどひどい。清少納言のほうは名指しで紫式部を批評した文を残していないことから、紫式部が一方的に清少納言に対する思いがあったとする声が多い。